風呂敷の起源についての有力な説

風呂敷のルーツ

風呂敷のルーツには諸説ありますが、近年有力視されている一つが起源は正倉院というキーワードです。正倉院は奈良平安時代に活躍した宝物庫と言われており、神聖な場所であると同時に現在の銀行のような役割を持っておりました。

丈夫な金庫があり警備体制は厳重で、保管のための各種設備が備わっていたのです。

日本は高温多湿な環境ですが風通しを良くして、湿気がこもらない建物を作る技術を早くに確立しました。高床式の木造建築は、湿気だけではなくネズミの侵入を防ぐ意匠が組み込まれているなど、財産を守るための知恵を集大成して作られた保管用の建物だったのです。

風呂敷のルーツは平包みという名称の四角形の布であり、収納される宝物を優しく包んで置いておくために用いられました。

布で包むことでホコリを防ぎ多少の衝撃にも耐えるようになり、それでいて通気性も高い布であったためにカビなどを防ぐ効果もあったのです。風呂敷のルーツは重要な宝を守るための、ボディーガード役として発展したことになります。

正倉院で育まれた包んで保護する文化は、やがて市井へと広まるにつれて風呂敷へと定着しました。特別なシーンで、時には国宝や三種の神器を包んだこともあるかもしれない聖布は、民間に膾炙されるにつれ文化と道具として愛用されるようになっていったのです。

 

文化と日本人のアレンジする力

日本の文化を紐解いてゆけば、異国から伝来した技術や価値観を換骨奪胎して新しく作り上げたり、アレンジすることで手中にすることが得意な民族性を持っていると言っても過言ではありません。

長く日本人の取り分け武士の魂と呼ばれた刀は、青銅器や鉄器の技術と共に日本に伝わりました。

日本刀と風呂敷

日本人は刀をさらに洗練させて研究を行い、湾刀にして鍛鉄を用いて鋭い切れ味を実現させたのです。海外にあるような直刀ではなく、湾曲した刃が切れ味と耐久性を両立させました。

内乱の多い国であったために技術の錬磨は琢磨されて、より良い物を
生み出そうと言う気運が高まり、日本刀は武具としてだけではなく芸術やアイデンティティまで昇華されていったのです。

風呂敷も同様の進化を遂げたことが想像に難しくありません。古来では貴重品であった布を量産出来るように研究開発し、やがて一部の特権階級の衣服や生活用品に使われるようになりました。また上流階級が好む美術品や芸術品などを包んで保護する目的でも、布は使われ続けたのです。

日本刀と風呂敷という一見遠く離れた物品でも、日本人の心性が体現されています。風呂敷はバッグにも手ぬぐいにもなり、ご祝儀を運ぶ包みにもなりますし、宝物を包むための収納袋にもなるのです。